RTakeda training diary

北国の一般大学生の自転車トレーニング日記。日々の振り返りとアウトプットの作業として自分のために書いてます。

12月7日(土) 幸せとは

・2`06 88TSS Av.98rpm EF1.32

 

カフェイン抜きはだいぶ良くなった。いつも通り勉強してローラー。今日はエンデュランス。昨日のスクワットのおかげか感覚は軽いけれど疲労は残っていてEFは低い。

ルーティーンなのでエンデュランスの日に書くようなことはあまりない。

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午後にウエイト。今日もスクワットとブルガリアンスクワット、ナローデッドリフトを中心に。スクワットを今日は85kgでセットを組んだ。初心者ボーナスでまだ上げれそうなので年内に100kgまでできるようになるとうれしい。

デッドリフトは動作の感覚がまだ掴めていなくて重量にフォーカスできていない。難しい。

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その足で今日はショップへ。

最近Tさんとも話すテーマなんだけれど、幸せとはみたいな話。うまく文章にまとめることは難しいんだけれど、結局人によって違うから難しいんだけれど自分に関しては。

自分は、結果を出して地位や名誉を得ることも大金持ちになることも自分にとっての幸せだとは思わない。そりゃ自転車で結果は欲しいし、お金はある程度以上には必要だろう。けれどそこじゃない。

大事なことの一つは、人としてどうあるかということ。人は選手として生まれてくるわけでも選手として死ぬわけでもない。オリンピアンだろうがツールを走ろうがワールドチャンピオンになろうが草レースを走っていようが関係ない。ただ、自転車とか競技とかいう文脈で語るならわかりやすく線引きはできないけれどある一線は超えていないと面白くない。中身に興味すら持てない。けれど、本当に大事なのは競技者として一線を越えたうえで、越えることができたその中身はどんな”人間”なのかが重要。

どんなに立派な結果を残していようが”人間”としての中身がな となるとそこに面白みは自分は感じない。逆に。結果はイマイチパッとしなくても”人間”としての中身が素敵ならばそんな人には自分は興味がある。

直接語ることはないかもしれないけれど、自転車を通して自分と関わってくれる後輩や仲間にはそういうものを身に着けてほしいと思っている。どんなレベルだろうがこれは所詮娯楽。でも、せっかく自転車という素敵なものに出会ったんだから自転車だけで完結してしまっては面白くない。せっかくだからもっと、自転車を降りても残る人として大事なものを見つけて、それを自転車という手段を通して磨いてみたい。それがきっと大事なこと。

 

店長がよくできた後輩のことを話題に挙げていた。最初からそうなんだけれど、選手として見てきたつもりはあまりない。練習という文脈ではそりゃお互い選手同士だろう。でもそこじゃない。自転車で一線を越えて打ち込んでいることは知っている。だから"ヒト"として何者かに興味を持てた。だからどんな”ヒト”なんだろうと思っていた。だから結果にあまり興味がないんだと思う。そりゃ結果が出たときは自分のことよりもうれしい。けれどいつも気にしているのはそこじゃなくて、今日の試合もケガしないで無事だろうか?その一点だけ。自転車を通してであったのかもしれないけれど、結局は選手と選手ではなく、人と人なんだから。リザルトを出す機械じゃなく、人間なんだから。選手と選手で終わってしまう程度の間柄ってつまらないと思う。

だから、そりゃ結果が出た日のことはいつまでも忘れられない。嬉しい出来事なんだけど、結局本当に心に残ってしまっているのはそれじゃなくて、一回一回の練習のこと。そして、最後に練習で会ったときようやく人として話せた気がした。あの日の様子や言葉選びがどうも魅力的で、はっきり言ってかわいかった。それは試合の結果以上に忘れられることができない。

 

ん、なんの話だっけ?いつも脱線するね?

 

店長ができた後輩がこの先をどう考えてるのかなんてのをぼんやり教えてくれたんだけれど、それを聞いてなんとなく安心した。いい選択じゃないかな。

期待されることもあるだろう。無駄に重く。俺なんかと比べるのは申し訳ないないけれど、一応気持ちはわからなくもないつもり。

自分の場合は津軽地方の練習仲間とかいう狭い範囲だけれど、おきなわに行くときも「後輩も仲間も、期待してみてくれるような立場まで来たのに、どうしてこんな練習しかできないのか。こんな姿をみんなに見せれるはずがない。」とかずいぶん精神的に疲れた。そう思えるくらいに見てもらえる、期待してもらって競技ができるなんてことは誰にでもできることではないからありがたいことだと思っている。けど逃げたくもなる。自分ごときでもそう感じるんだからそのプレッシャーは想像もつかない。だからこそ、ちょっと気持ちが想像つくつもりだからこそ「別にいいんじゃない?」と、時には適当に、気楽に構えている逃げ場所みたいなものになりたいものだと思っていた。

少なくても自分はそんな逃げ場所が欲しいなぁ なんてことはよく思ってしまう。

競技者としてはプレッシャーがかかって、期待されてというのはありがたいんだけど、それ以前にやっぱり人間だから、結果を出す機械じゃないからうまく付き合っていかないと壊れてしまう。そうはなってほしくない。

 

自分にとって幸せとは、自分と関わってくれた人が、一人でも「君に出会えてよかった。」と思ってくれること。

自転車仲間が「君と一緒に走れてよかった」と。生徒が「先生の生徒でよかった」とか。全員にそう思わせることはできないし、そんなことする必要はない。

 

そして自分にとって一番大切なのは、これから というか気づけばもうそれを手にするまで10年もなかったりするかもしれない 家族。

恋人が、嫁さんが「最後にあなたを選んでよかった」と、子供(を持つかはわからないけれど)が「お父さんの子供でよかった」と思ってくれればそれだけでいい。

それだけが 以前ちらっと書いた俺の手のひらサイズの小さい"夢"。かなり昔からそう。言葉にはできていなかったけれど中学生くらいの時にはもうそんなことを心のどこかには持っていたと思う。自分一人では実現できない夢。

そのためにはある程度は必要だけれど大金持ちになる必要はない。多少の地位は必要かもしれないけれど最高位である必要はない。”ほどほど”がいい。本当に大事なものを見失わない程度で。

 

こんな内容を全部話したわけではないけれど、それっぽい話をショップでしていた。トレーニング日記とは って感じだけれどとても大事なことだと思う。

 

流れでそのままTさんと食事へ。

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今日は担々麺。

 

 

It's so easy.